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竹取物語


作者不詳


『竹取物語』は通称で、『竹取翁の物語』とも『かぐや姫の物語』とも呼ばれた。
仮名によって書かれた最初期の物語の一つでもある。

成立年は明らかになっていない。
原本は現存せず、写本は室町時代初期の後光厳天皇の筆と伝えられる「竹取物語断簡」が最古といわれ、完本では安土桃山時代の天正20年(1592年)の奥付を有する「武藤本」が最古といわれる。
しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。
通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。
元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが、後に平仮名で書き改められたと考えられている。

作者についても不詳である。
作者像として、当時の推定識字率から庶民は考えられず上流階級に属しており、貴族の情報が入手できる平安京近隣に居住し、物語の内容に反体制的な要素が認められることから、当時権力を握っていた藤原氏の係累ではなく、漢学・仏教・民間伝承に精通し、仮名文字を操ることができ、和歌の才能もあり、貴重だった紙の入手も可能な人物で、性別は男性だったのではないかと推定されている。
以上をふまえ、源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄などの作者説が唱えられているが、いずれも決め手に欠けている。

登場人物と時代
かぐや姫・老夫婦・帝などは架空の人物だが、実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。
5人の公達のうち、阿倍御主人(あべ の みうし)、大伴御行(おおとも の みゆき)、石上麻呂(いそのかみ の まろ)は実在の人物である。また、車持皇子(くらもちのみこ)のモデルは藤原不比等(ふじわら の ふひと)、石作皇子(いしづくりのみこ)のモデルは多治比嶋(たじひ の しま)だっただろうと推定されている。
この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台に設定されたと考えられている。
主人公のかぐや姫も、垂仁天皇妃である迦具夜比売(かぐやひめ、大筒木垂根王の女)との関係や、赫夜姫という漢字が「とよひめ」と読めることから豊受大神との関係について論じられることもある。
また、この時期に富士山が噴気活動中の火山として描かれていることから、科学論文に成立などが引用されることがある古典のひとつである。

以上、Wikipedia:竹取物語より概要について引用。
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かぐや姫おひたち

今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹を取りつゝ、萬づの事に使ひけり。名をば讃岐造麿となむいひける。その竹の中に、本光る竹なむ一筋ありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。翁言ふやう、「われ朝夕毎に見る竹の中に、おはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」とて、手に打入れて家に持ちて來ぬ。妻の嫗に預けて養はす。美しきこと限りなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。
竹取の翁この子を見つけて後に、竹を取るに、節を隔ててよ毎に、金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やう/\豐になり行く。この兒養ふ程に、すく/\と大きになりまさる。三月許になる程に、よき程なる人になりぬれば、髮上などさだして、髮上せさせ裳著す。帳の内よりも出さず、いつきかしづき養ふ程に、この兒の容貌清らなること世になく、家の内は暗き處なく光滿ちたり。翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ、腹立たしき事も慰みけり。翁竹を取ること久しくなりぬ。勢猛の者になりにけり。この子いと大になりぬれば、名をば三室戸齋部秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹の赫映姫とつけつ。此の程三日うちあげ遊ぶ。萬づの遊をぞしける。男女嫌はず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ。


つまどひ

世界の男、貴なるも賤しきも、いかで、この赫映姫を得てしがな見てしがな、と音に聞きめでて惑ふ。その邊の垣にも家の外にも居る人だに、容易く見るまじきものを、夜は安き寢もねず、闇の夜に出でても穴を抉り、此處彼處より覗き垣間見惑ひあへり。さる時よりなむ、よばひとはいひける。
人の物ともせぬ處に惑ひ歩けども、何の驗あるべくも見えず。家の人どもに物をだに言はむとて、言ひ懸くれども、事ともせず。邊を離れぬ公達、夜を明し日を暮す人多かり。疎かなる人は、益なき歩行はよしなかりけりとて、來ずなりにけり。その中に猶言ひけるは、色好といはるゝ限り五人、思ひ止む時なく夜晝來けり。その名、一人は石作皇子、一人は車持皇子、一人は右大臣阿倍御主人、一人は大納言大伴御行、一人は中納言石上麻呂、只この人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しも容貌よしと聞きては、見まほしうする人々なりければ、赫映姫を見まほしうして、物も食はず思ひつゝ、かの家に行きて、佇み歩きけれども、詮あるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず、侘歌など書きてやれども、返しもせず、詮なしと思へども、十一月十二月の降り氷り、六月の照り霆くにも障らず來けり。この人々、或時は竹取を呼び出でて、「娘を我に賜べ」と伏し拜み、手を擦り宣へど、「己がなさぬ子なれば、心にも從はずなむある」といひて、月日を過す。
斯かれば、この人々家に歸りて物を思ひ、祈をし、願を立て、思ひ止めむとすれども止むべくもあらず。さりとも遂に男婚はせざらむやは、と思ひて頼を懸けたり。強ちに志を見え歩く。これを見つけて、翁、赫映姫にいふやう、「我が子の佛、變化の人と申しながら、こゝら大さまで養ひ奉る志疎かならず。翁の申さむこと聞き給ひてむや」といへば、赫映姫、「何事をか宣はむ事を承らざらむ。變化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」といへば、翁、「嬉しくも宣ふものかな」といふ。「翁年七十に餘りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女に婚ふことをす、女は男に婚ふことをす。その後なむ門も廣くなり侍る。いかでか然る事なくてはおはしまさむ。」赫映姫のいはく、「なでふ然る事かし侍らむ」といへば、「變化の人といふとも、女の身持ち給へり。翁のあらむ限りは、斯うてもいますかりなむかし。この人々の年月を經て、斯うのみいましつゝ宣ふ事を思ひ定めて、一人々々に婚ひ奉り給ひね」といへば、赫映姫いはく、「よくもあらぬ容貌を、深き心も知らで、徒心つきなば、後悔しき事もあるべきをと思ふばかりなり。世の畏き人なりとも、深き志を知らでは婚ひ難しとなむ思ふ」といふ。翁いはく、「思の如くも宣ふかな。そも/\如何やうなる志あらむ人にか婚はむと思す。斯ばかり志疎かならぬ人々にこそあめれ。」赫映姫のいはく、「何ばかりの深きをか見むといはむ。聊かの事なり。人の志等しかなり。いかでか中に劣勝は知らむ。『五人の人の中にゆかしき物見せ給へらむに、御志勝りたりとて仕うまつらむ』と、そのおはすらむ人々に申し給へ」といふ。「よき事なり」と承けつ。
日暮るゝ程、例の集りぬ。人々或は笛を吹き、或は歌を謠ひ、或は唱歌をし、或は嘯を吹き、扇を鳴らしなどするに、翁出でていはく、「辱くも穢げなる所に、年月を經てものし給ふ事、極まりたる畏まりを申す。『翁の命けふ明日とも知らぬを、かく宣ふ君達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申せば、『深き御心を知らでは』となむ申す。さ申すも理なり。『いづれ劣勝おはしまさねば、ゆかしき物見せ給へらむに、御志の程は見ゆべし。仕うまつらむ事は、それになむ定むべき』といふ。これよき事なり、人の恨もあるまじ」といへば、五人の人々も、「よき事なり」といへば、翁入りていふ。赫映姫、石作皇子には、「天竺に佛の御石の鉢といふ物あり、それをとりて賜へ」といふ。車持皇子には、「東の海に蓬莱といふ山あなり。それに白銀を根とし、黄金を莖とし、白玉を實として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ」といふ。今一人には、「唐土にある火鼠の裘を賜へ。」大伴大納言には、「龍の首に五色に光る玉あり。それを取りて賜へ。」石上中納言には、「燕の持たる子安貝一つ取りて賜へ」といふ。翁、「難き事どもにこそあめれ。この國にある物にもあらず。斯く難き事をば如何に申さむ」といふ。赫映姫、「何か難からむ」といへば、翁、「とまれかくまれ申さむ」とて、出でて、「斯くなむ。聞ゆるやうに見せ給へ」といへば、皇子達、上達部聞きて、「おいらかに、『邊よりだに、な歩きそ』とやは宣はぬ」といひて、倦じて皆歸りぬ。


佛の御石の鉢

猶この女見では、世にあるまじき心地のしければ、天竺にある物も持て來ぬものかは、と思ひめぐらして、石作皇子は心のしたくみある人にて、天竺に二つと無き鉢を、百千萬里の程行きたりとも、いかでか取るべき、と思ひて、赫映姫の許には、「今日なむ天竺へ石の鉢とりに罷る」と聞かせて、三年ばかり經て、大和國十市郡に、ある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の直黒に煤づきたるを取りて、錦の袋に入れて、作花の枝につけて、赫映姫の家に持て來て見せければ、赫映姫怪しがりて見るに、鉢の中に文あり。ひろげて見れば、
海山の路に心を盡くし果て御石の鉢の涙流れき
赫映姫、光やあると見るに、螢ばかりの光だになし。
おく露の光をだにぞやどさまし小倉山にて何もとめけむ
とて、返し出すを、鉢を門に棄てて、この歌の返しをす。
白山に逢へば光の失するかと鉢を棄てても頼まるゝかな
と詠みて入れたり。赫映姫返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言ひ煩ひて歸りぬ。かれ鉢を棄てて又いひけるよりぞ、面なき事をば、はぢを棄つとはいひける。


蓬莱の玉の枝

車持皇子は、心たばかりある人にて、公には、「筑紫國に湯あみに罷らむ」とて、暇申して、赫映姫の家には、「玉の枝取りになむ罷る」といはせて下り給ふに、仕うまつるべき人々、皆難波まで御送しけり。皇子、「いと忍びて」と宣はせて、人も數多率ておはしまさず、近う仕うまつる限りして出で給ひぬ。御送の人々見奉り送りて歸りぬ。
おはしましぬと人には見え給ひて、三日許ありて漕ぎ歸り給ひぬ。かねて事皆仰せたりければ、その時一の工匠なりけるうちまろら六人を召し取りて、容易く人寄り來まじき家を作りて、構を三重に仕込めて、工匠等を入れ給ひつゝ、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひつる限り十六所をかみにくどをあけて、玉の枝を造り給ふ。赫映姫宣ふやうに、違はず造り出でつ。いとかしこくたばかりて、難波に密に持て出でぬ。「船に乘りて歸り來にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しげなる樣して居給へり。迎に人多く參りたり。玉の枝をば長櫃に入れて、物覆ひて持ちて參る。いつか聞きけむ、「車持皇子は、優曇華の花持ちて上り給へり」とのゝしりけり。これを赫映姫聞きて、我はこの皇子に負けぬべし、と胸潰れて思ひけり。
斯かる程に門を叩きて、「車持皇子おはしましたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしましたり」といへば、逢ひ奉る。皇子宣はく、「命を捨てて、かの玉の枝持て來たり」とて、「赫映姫に見せ奉り給へ」といへば、翁持ちて入りたり。この玉の枝に文をぞ附けたりける。
徒らに身はなしつとも玉の枝を手折らで更に歸らざらまし
これをも哀れと見て居るに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の玉の枝を、一つの所もあやしき處なく、あやまたず持ておはしませり。何をもちてか、とかく申すべきにあらず。旅の御姿ながら、我が御家へも寄り給はずしておはしましたり。はやこの皇子に婚ひ仕うまつり給へ」といふに、物もいはず頬杖をつきて、いみじう歎かしげに思ひたり。この皇子、「今さら何かといふべからず」といふまゝに、縁に這ひ上り給ひぬ。翁理に思ふ。「この國に見えぬ玉の枝なり。この度はいかでか辭み申さむ。人ざまもよき人におはす」などいひ居たり。赫映姫のいふやう、「親の宣ふ事を、一向に辭み申さむ事のいとほしさに、得難き物を、ゆかし、とは申しつるを、かく淺ましく持て來る事をなむ、妬く思ひ侍る」といへど、なほ翁は閨の内しつらひなどす。
翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。怪しく麗しくめでたき物にも」と申す。皇子答へて宣はく、「一昨々年の二月の十日比に、難波より船に乘りて、海中に出でて、行かむ方も知らず覺えしかど、思ふ事成らでは、世の中に生きて何かせむ、と思ひしかば、唯空しき風に任せて歩く。命死なば如何はせむ、生きてあらむ限りは斯く歩きて、蓬莱といふらむ山に逢ふや、と浪に漂ひ漕ぎ歩きて、我が國の内を離れて歩き廻りしに、或時は浪荒れつゝ海の底にも入りぬべく、或時には風につけて知らぬ國に吹き寄せられて、鬼のやうなるもの出で來て殺さむとしき。或時には來し方行末も知らず、海に紛れむとしき。或時には粮盡きて、草の根を食物としき。或時にはいはむ方なくむくつけげなるもの來て、食ひかからむとしき。或時には海の貝を取りて命をつぐ。旅の空に助くべき人も無き所に、いろ/\の病をして、行方すらも覺えず。船の行くに任せて、海に漂ひて、五百日といふ辰の時許に、海の中に遙かに山見ゆ。舟の中をなむせめて見る。海の上に漂へる山いと大にてあり。その山の樣高くうるはし。これや我が覓むる山ならむと思へど、流石に恐ろしく覺えて、山の圍を指し廻らして、二三日ばかり見歩くに、天人の粧したる女、山の中より出で來て、銀の金碗をもて水を汲み歩く。これを見て船より下りて、『この山の名を何とか申す』と問ふに、女答へて曰く、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。之を聞くに嬉しき事限りなし。この女に、『かく宣ふは誰ぞ』と問ふ。『我が名はほうかむるり』といひて、ふと山の中に入りぬ。その山を見るに、更に登るべきやうなし。その山の岨づらを廻れば、世の中に無き花の木ども立てり。金銀瑠璃色の水流れ出でたり。それにはいろ/\の玉の橋渡せり。その邊に照り輝く木ども立てり。その中に、この取りて持てまうで來たりしは、いと惡かりしかども、宣ひしに違はましかばとて、この花を折りてまうで來たるなり。山は限りなく面白し。世に譬ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、更に心許無くて、船に乘りて追風吹きて、四百餘日になむまうで來にし。大願の力にや、難波より昨日なむ都にまうで來つる。更に潮に濡れたる衣をだに脱ぎ更へなでなむ、此方まうで來つる」と宣へば、翁聞きて、打歎きて詠める、
呉竹のよゝの竹取る野山にもさやは侘しき節をのみ見し
これを皇子聞きて、「こゝらの日比思ひ侘び侍りつる心は、今日なむ落居ぬる」と宣ひて、返し、
我が袂今日乾ければ侘しさの千種の數も忘られぬべし
と宣ふ。
斯かる程に、男ども六人連ねて、庭に出で來たり。一人の男、文挾に文を挾みて申す。「作物所の司の工匠漢部内麿申さく、玉の木を作りて仕う奉りし事、心を碎きて、千餘日に力を盡くしたる事少からず。然るに祿未だ賜はらず、これを賜はりて、分ちて家子に賜はせむ」といひて捧げたり。竹取の翁、この工匠等が申すことは何事ぞ、と傾き居り。皇子は我にもあらぬ氣色にて、肝消えぬべき心地して居給へり。これを赫映姫聞きて、「この奉る文を取れ」といひて見れば、文に申しけるやう、
 皇子君千餘日賤しき工匠等と諸共に、同じ所に隱れ居給ひて、かしこき玉の枝を作らせ給ひて、官も賜はらむと仰せ給ひき。これを、この比案ずるに、御使とおはしますべき赫映姫の要じ給ふべきなりけり、と承りて、「この宮より賜はらむ」と申して賜はるべきなり。
といふを聞きて、赫映姫、暮るゝまゝに思ひ侘びつる心地笑み榮えて、翁を喚び取りていふやう、「眞に蓬莱の木かとこそ思ひつれ。斯くあさましき虚事にてありければ、はや疾く返し給へ」といへば、翁答ふ、「定かに造らせたる物と聞きつれば、返さむ事いと易し」と頷き居り。赫映姫の心ゆき果てて、ありつる歌の返し、
眞かと聞きて見つれば言の葉を飾れる玉の枝にぞありける
といひて、玉の枝も返しつ。竹取の翁然ばかり語らひつるが、流石に覺えて眠り居り。皇子は、立つもはした、居るもはしたにて居給へり。日の暮れぬれば、すべり出で給ひぬ。
かの愁訴せし工匠等をば、赫映姫呼びすゑて、「嬉しき人どもなり」といひて、祿いと多く取らせ給ふ。工匠等いみじく喜びて、「思ひつる樣にもあるかな」といひて、歸る道にて、車持皇子血の流るゝまでちようぜさせ給ふ。祿得し詮もなく、皆取り捨てさせ給ひてければ、逃げ失せにけり。かくて、この皇子、「一生の恥これに過ぐるはあらじ。女を得ずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はむことの恥かしき事」と宣ひて、唯一所深き山へ入り給ひぬ。宮司侍ふ人々、皆手を分ちて求め奉れども、身まかりもやし給ひけむ、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の御供に隱し給はむとて、年比見え給はざりけるなりけり。これをなむ、たまさかるとはいひ始めける。


火鼠の裘

右大臣阿倍御主人は、財豐に家廣き人にぞおはしける。その年渡りける唐土船の王卿といふ者の許に、文を書きて、「火鼠の裘といふなるもの買ひておこせよ」とて、仕う奉る人の中に、心確なるを選びて、小野房守といふ人を附けて遣はす。持て到りて、かの浦に居る王卿に金を取らす。王卿文をひろげて見て、返事書く。
 火鼠の裘、我が國に無き物なり。音には聞けども、未だ見ぬ物なり。世にある物ならば、この國にも持てまうで來なまし。いと難き商なり。然れども、若し天竺に邂逅に持て渡りなば、もし長者の邊に訪らひ求めむに、無き物ならば、使に添へて金をば返し奉らむ。
といへり。かの唐土船來けり。小野房守まうで來てまう上る、といふことを聞きて、歩み疾うする馬をもちて、走らせ迎へさせ給ふ時に、馬に乘りて筑紫より唯七日に上りまうで來たり。文を見るに、いはく、
 火鼠の裘、辛うじて、人を出して求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は容易く無き物なりけり。昔賢き天竺の聖、この國に持て渡りて侍りける、西の山寺にあり、と聞き及びて、公に申して、辛うじて買ひ取りて奉る。價の金少し、と國司使に申ししかば、王卿が物加へて買ひたり。今金五十兩賜はるべし。船の歸らむにつけて賜び送れ。もし金賜はぬものならば、裘の質返したべ。
といへる事を見て、「何思す。いま金少しの事にこそあなれ。必ず送るべき物にこそあなれ。嬉しくして遣せたる哉」とて、唐土の方に向ひて伏し拜み給ふ。
この裘入れたる箱を見れば、種々のうるはしき瑠璃を綺へて作れり。裘を見れば紺青の色なり。毛の末には金の光輝きたり。げに寶と見え、うるはしき事比ぶべき物なし、火に燒けぬ事よりも、清らなる事比なし。「うべ、赫映姫の好もしがり給ふにこそありけれ」と宣ひて、「あなかしこ」とて、箱に入れ給ひて、物の枝につけて、御身の化粧いといたくして、やがて泊りなむものぞ、と思して、歌詠み加へて持ちていましたり。その歌は、
限りなき思ひに燒けぬ裘袂乾きて今日こそは見め
といへり。家の門に持て到りて立てり。竹取出で來て取り入れて、赫映姫に見す。赫映姫、かの裘を見ていはく、「うるはしき皮なめり。わきて眞の皮ならむとも知らず」。竹取答へていはく、「とまれかくまれ、先づ請じ入れ奉らむ。世の中に見えぬ裘の樣なれば、これを眞と思ひ給ひね。人ないたく侘びさせ奉らせ給ひそ」といひて、呼びすゑ奉れり。
斯く呼びすゑて、この度は必ず婚はむ、と嫗の心にも思ひ居り。この翁は、赫映姫の寡なるを歡かしければ、よき人に婚はせむと思ひはかれども、切に否といふことなれば、え強ひぬは理なり。赫映姫、翁にいはく、「この裘は、火に燒かむに、燒けずはこそ眞ならむと思ひて、人の言ふことにも負けめ。世に無き物なれば、それを眞と疑なく思はむと宣へ。猶これを燒きて見む」といふ。翁、「それ然も言はれたり」といひて、大臣に「斯くなむ申す」といふ。大臣答へていはく、「この皮は唐土にも無かりけるを、辛うじて覓め尋ね得たるなり。何の疑かあらむ。」「然は申すとも、早燒きて見給へ」といへば、火の中にうちくべて燒かせ給ふに、めら/\と燒けぬ。「さればこそ異物の皮なりけり」といふ。大臣これを見給ひて、御顏は草の葉の色して居給へり。赫映姫は、あな嬉しと喜びて居たり。かの詠み給ひける歌の返し、箱に入れて返す。
名殘なく燃ゆと知りせばかは衣おもひの外に置きて見ましを
とぞありける。されば歸りいましにけり。世の人々、「安倍大臣は、火鼠の裘を持ていまして、赫映姫に住み給ふとな。此處にやいます」など問ふ。或人のいはく、「裘は火にくべて燒きたりしかば、めら/\と燒けにしかば、赫映姫婚ひ給はず」といひければ、これを聞きてぞ、利氣なきものをば、あへなしとはいひける。


龍の首の珠

大伴御行の大納言は、我が家にありとある人を召し集めて、宣はく、「龍の首に五色の光ある玉あなり。それを取りて奉りたらむ人には、願はむ事を叶へむ」と宣ふ。男ども仰の事を承りて申さく、「仰の事はいとも尊し。但しこの玉容易くえ取らじを、况や龍の首の玉は如何取らむ」と申し合へり。大納言宣ふ、「君の使といはむものは、命を捨てても、己が君の仰言をば叶へむとこそ思ふべけれ。この國に無き天竺唐土の物にもあらず。この國の海山より龍は下り上るものなり。如何に思ひてか、汝等難き物と申すべき」。男ども申すやう、「さらば如何はせむ。難き物なりとも、仰言に從ひて求めに罷らむ」と申す。大納言見笑ひて、「汝等君の使と名を流しつ。君の仰言をば如何は背くべき」と宣ひて、龍の首の玉取りにとて、出し立て給ふ。この人々の道の糧食物に、殿の内の絹、綿、錢など、ある限り取り出でて添へて遣はす。「この人々ども、歸るまで齋をして我は居らむ。この玉取り得では家に歸り來な」と宣はせけり。おのおの仰承りて罷り出でぬ。「龍の首の玉取り得ずば歸り來な」と宣へば、いづちも/\足の向きたらむ方へいなむとす。斯かる好事をし給ふ事、と謗り合へり。賜はせたる物はおのおの分けつゝ取り、或は己が家に籠り居、或はおのが行かまほしき所へいぬ。親君と申すとも、斯くつきなき事を仰せ給ふ事、と、事ゆかぬもの故、大納言を謗り合ひたり。「赫映姫すゑむには、例のやうには見にくし」と宣ひて、麗しき屋を造り給ひて、漆を塗り、蒔繪をし、綺へし給ひて、屋の上には糸を染めて、いろ/\に葺かせて、内々のしつらひには、いふべくもあらぬ綾織物に繪を畫きて、間毎に張りたり。もとの妻どもは皆追ひ拂ひて、赫映姫を必ず婚はむ設して獨り明し暮し給ふ。
遣しし人は、夜晝待ち給ふに、年越ゆるまで音もせず。心許無がりて、いと忍びて、唯舍人二人召繼として、窶れ給ひて、難波の邊におはしまして、問ひ給ふことは、「大伴大納言の人や、船に乘りて龍殺して、そが首の玉取れるとや聞く」と問はするに、船人答へていはく、「怪しき事かな」と笑ひて、「然る業する船もなし」と答ふるに、をぢなきことする船人にもあるかな。え知らでかくいふ、と思して、「我が弓の力は、龍あらば、ふと射殺して首の玉は取りてむ。遲く來る奴原を待たじ」と宣ひて、船に乘りて、海毎に歩き給ふに、いと遠くて、筑紫の方の海に漕ぎ出で給ひぬ。如何しけむ、疾き風吹きて、世界闇がりて、船を吹きもて歩く。いづれの方とも知らず、船を海中に罷り出でぬべく吹き廻して、浪は船に打掛けつゝ卷き入れ、雷は落ちかゝるやうに閃きかゝるに、大納言は惑ひて、「まだ斯かる侘しき目は見ず。如何ならむとするぞ」と宣ふ。楫取答へて申す、「こゝら船に乘りて罷り歩くに、まだ斯く侘しき目を見ず。御船海の底に入らずば雷落ちかゝりぬべし。若し幸ひに神の助あらば、南海に吹かれおはしぬべし。うたてある主の御許に仕へ奉りて、すずろなる死をすべかめるかな」とて、楫取泣く。大納言これを聞きて宣はく、「船に乘りては楫取の申すことをこそ、高き山とも頼め。など斯く頼もしげなきことを申すぞ」と青反吐を吐きて宣ふ。楫取答へて申す、「神ならねば何業をか仕らむ。風吹き浪烈しけれども、雷さへ頂に落ちかゝるやうなるは、龍を殺さむと求め給ひ候へば、斯くあなり。疾風も龍の吹かするなり。はや神に祈り給へ」といへば、「よき事なり」とて、「楫取の御神聞しめせ。をぢなく心幼く龍を殺さむと思ひけり。今より後は毛の末一筋をだに動かし奉らじ」と、祝詞を放ちて立居、泣く泣く呼ばひ給ふこと、千度ばかり申し給ふけにやあらむ、やうやう雷鳴り止みぬ。少し明りて、風は猶早く吹く。楫取のいはく、「これは龍の仕業にこそありけれ。この吹く風はよき方の風なり。惡しき方の風にはあらず。よき方に赴きて吹くなり」といへども、大納言は、これを聞き入れ給はず。
三四日ありて吹き返し寄せたり。濱を見れば、播磨の明石の濱なりけり。大納言、南海の濱に吹き寄せられたるにやあらむと思ひて、息づき臥し給へり。船に在る男ども國に告げたれば、國の司まうで訪らふにも、え起き上り給はで、船底に臥し給へり。松原に御筵敷きて下し奉る。その時にぞ、南海にあらざりけりと思ひて、辛うじて起き上り給へるを見れば、風いと重き人にて、腹いと脹れ、此方彼方の目には、李を二つ附けたるやうなり。これを見奉りてぞ、國の司も微笑みたる。國に仰せ給ひて、腰輿作らせ給ひて、によぶ/\荷はれて家に入り給ひぬるを、いかでか聞きけむ、遣はしし男ども參りて申すやう、「龍の首の玉をえ取らざりしかばなむ、殿へもえ參らざりし。玉の取り難かりし事を知り給へればなむ、勘當あらじとて參りつる」と申す。大納言起き出でて宣はく、「汝等よく持て來ずなりぬ。龍は鳴神の類にてこそありけれ。それが玉を取らむとて、そこらの人々の害せられなむとしけり。まして龍を捕へたらましかば、又事も無く、我は害せられなまし。よく捕へずなりにけり。赫映姫てふ大盜人の奴が、人を殺さむとするなりけり。家の邊だに今は通らじ。男どももな歩きそ」とて、家に少し殘りたりける物どもは、龍の玉取らぬ者どもに賜びつ。これを聞きて、離れ給ひし本の上は、腹をきりて笑ひ給ふ。糸を葺かせて造りし屋は、鳶烏の巣に皆咋ひもていにけり。世界の人のいひけるは、「大伴大納言は、龍の首の玉や取りておはしたる」。「否さもあらず。御眼二つに李の樣なる玉をぞ添へていましたる」といひければ、「あな堪へ難」といひけるよりぞ、世にあはぬ事をば、あなたへがたとはいひ始めける。


燕の子安貝

中納言石上麻呂は、家に使はるゝ男どもの許に、「燕の巣くひたらば告げよ」と宣ふを、承りて、「何の料にかあらむ」と申す。答へて宣ふやう、「燕の持たる子安貝取らむ料なり」と宣ふ。男ども答へて申す、「燕を數多殺して見るにだにも、腹に無き物なり。但し子産む時なむ、いかでか出すらむ。はら/\と、人だに見れば失せぬ」と申す。又人の申すやう、「大炊寮の飯炊ぐ屋の棟のつくの穴毎に、燕は巣くひ侍り。それに實ならむ男どもをゐて罷りて、あぐらを結ひて上げて窺はせむに、そこらの燕子産まざらむやは。さてこそ取らしめ給はめ」と申す。中納言喜び給ひて、「をかしき事にもあるかな。もともえ知らざりけり。興ある事申したり」と宣ひて、實なる男ども二十人ばかり遣はして、あななひに上げすゑられたり。
殿より使隙なく賜はせて、「子安貝取りたるか」と問はせ給ふ。燕も人の數多上り居たるに懼ぢて、巣に上り來ず。斯かる由の御返事を申しければ、聞き給ひて、如何すべきと思しめし煩ふに、かの寮の官人くらつ麿と申す翁申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかり申さむ」とて御前に參りたれば、中納言額を合はせて對ひ給へり。くらつ麿が申すやう、「この燕の子安貝は、惡しくたばかりて取らせ給ふなり。さてはえ取らせ給はじ。あななひにおどろ/\しく二十人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで來ずなむ。せさせ給ふべきやうは、このあななひを毀ちて、人皆退きて、實ならむ人一人を荒籠に載せすゑて、綱を構へて、鳥の子産まむ間に綱を釣り上げさせて、ふと子安貝を取らせ給はむなむよかるべき」と申す。中納言宣ふやう、「いとよき事なり」とて、あななひを毀ちて、人皆歸りまうで來ぬ。
中納言、くらつ麿に宣はく、「燕はいかなる時にか子を産むと知りて、人をば上ぐべき」と宣ふ。くらつ麿申すやう、「燕は子産まむとする時は、尾をさゝげて、七度廻りてなむ、産み落すめる。さて七度廻らむ折引上げて、その折子安貝は取らせ給へ」と申す。中納言喜び給ひて、萬づの人にも知らせ給はで、密に寮にいまして、男どもの中に交りて、夜を晝になして取らしめ給ふ。くらつ麿斯く申すを、いといたく喜び給ひて宣ふ、「こゝに使はるゝ人にもなきに、願を叶ふる事の嬉しさ」と宣ひて、御衣脱ぎて被け給ひつ。「更に夜さりこの寮にまうで來」と宣ひて遣はしつ。
日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、誠に燕巣作れり。くらつ麿申すやうに、尾をさゝげて廻るに、荒籠に人を載せて釣り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物も無し」と申すに、中納言、「惡しく探れば無きなり」と腹立ちて、「誰ばかりおぼえむに」とて、「我登りて探らむ」と宣ひて、籠に乗りて釣られ登りて窺ひ給へるに、燕尾をさゝげていたく廻るに合はせて、手を捧げて探り給ふに、手に平める物觸る時に、「我物握りたり。今は下してよ。翁しえたり」と宣ひて、集りて疾く下さむとて、綱を引過ぐして、綱絶ゆる即ち、八島の鼎の上に仰樣に落ち給へり。人人あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目は白眼にて臥し給へり。人々御口に水を掬ひ入れ奉る。辛うじて息出で給へるに、又鼎の上より、手とり足とりしてさげ下し奉る。辛うじて、「御心地は如何思さるゝ」と問へば、息の下にて、「ものは少し覺ゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握り持たれば、嬉しく覺ゆるなり。先づ脂燭さして來。この貝顏見む」と、御ぐし擡げて御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。それを見給ひて、「あな詮なの業や」と宣ひけるよりぞ、思ふに違ふ事をば、かひなしとはいひける。
貝にもあらず、と見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃の蓋に入れられ給ふべくもあらず。御腰は折れにけり。中納言は、幼稚たる業して病むことを、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にていと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを、日に添へて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥かしく覺え給ふなりけり。これを赫映姫、聞きて訪らひに遣はしける歌、
年を經て浪立ち寄らぬ住のえのまつかひなしと聞くは眞か
とあるを讀みて聞かす。いと弱き心地に頭擡げて、人に紙を持たせて、苦しき心地に辛うじて書き給ふ。
かひは斯くありけるものを侘び果てて死ぬる命を救ひやはせぬ
と書き果つると絶え入り給ひぬ。これを聞きて、赫映姫少し哀れと思しけり。それよりなむ、少し嬉しき事をば、かひありとはいひける。


御狩のみゆき

さて、赫映姫容貌世に似ずめでたきことを、帝聞しめして、内侍中臣のふさ子に宣ふ、「多くの人の身を徒らになして婚はざなる赫映姫は、いかばかりの女ぞと罷りて見て參れ」と宣ふ。ふさ子、承りて罷れり。竹取の家に畏まりて請じ入れて逢へり。嫗に内侍宣ふ、「仰言に、赫映姫の容貌優におはすとなり。よく見て參るべきよし宣はせつるになむ參りつる」といへば、「さらば斯くと申し侍らむ」といひて入りぬ。赫映姫に、「はやかの御使に對面し給へ」といへば、赫映姫、「よき容貌にもあらず。いかでか見ゆべき」といへば、「うたても宣ふかな。帝の御使をばいかでか疎かにせむ」といへば、赫映姫答ふるやう、「帝の召して宣はむこと、畏しとも思はず」といひて、更に見ゆべくもあらず。産める子のやうにはあれど、いと心恥かしげに、疎かなるやうにいひければ、心のまゝにもえ責めず。嫗、内侍の許に歸り出でて、「口惜しくこの幼き者は、強く侍る者にて、對面すまじきと申す」。内侍、「必ず見奉りて參れ、と仰言ありつるものを、見奉らではいかでか歸り參らむ。國王の仰言を、まさに世に住み給はむ人の、承り給はではありなむや。いはれぬ事なし給ひそ」と、詞恥かしくいひければ、これを聞きて、まして赫映姫聞くべくもあらず。「國王の仰言を背かば、はや殺し給ひてよかし」といふ。
この内侍歸り參りて、このよしを奏す。帝聞しめして、「多くの人を殺してける心ぞかし」と宣ひて、止みにけれど、猶思しめしおはしまして、この女の謀にや負けむと思しめして、竹取の翁を召して仰せ給ふ、「汝が持て侍る赫映姫奉れ。顏貌よしと聞しめして、御使を賜びしかど、詮なく見えずなりにけり。斯くたい%\しくやは慣らはすべき」と仰せらる。翁畏まりて御返事申すやう、「この女の童は、絶えて宮仕つかうまつるべくもあらず侍るを、もて煩ひ侍り。さりとも罷りて仰せ賜はむ」と奏す。これを聞しめして仰せ給ふやう、「などか翁の手におほし立てたらむものを、心に任せざらむ。この女もし奉りたるものならば、翁に冠をなどか賜ばせざらむ」。翁喜びて家に歸りて、赫映姫に談らふやう、「斯くなむ帝の仰せ給へる。猶やは仕う奉り給はぬ」といへば、赫映姫答へて曰く、「もはら然樣の宮仕つかう奉らじと思ふを、強ひて仕う奉らせ給はば、消え失せなむず。御官冠つかう奉りて死ぬばかりなり」。翁答ふるやう、「なし給ひそ。官冠も、我が子を見奉らでは何にかはせむ。さはありとも、などか宮仕をし給はざらむ。死に給ふやうやはあるべき」といふ。「猶虚言かと、仕う奉らせて、死なずやあると見給へ。數多の人の志疎かならざりしを、空しくなしてしこそあれ。昨日今日帝の宣はむ事につかむ、人聞やさし」といへば、翁答へて曰く、「天の下の事はとありともかゝりとも、御命の危きこそ大なる障なれ。猶仕う奉るまじき事を、參りて申さむ」とて、參りて申すやう、「仰の事の畏さに、かの童を參らせむとて仕う奉れば、『宮仕に出し立てなば死ぬべし』と申す。造麿が手に産ませたる子にてもあらず。昔山にて見つけたる。斯かれば心ばせも世の人に似ずぞ侍る」と奏せさす。
帝仰せ給はく、「造麿が家は山本近かなり。御狩の行幸し給はむやうにて見てむや」と宣はす。造麿が申すやう、「いとよき事なり。何か心もなくて侍らむに、ふと行幸して御覽ぜられなむ」と奏すれば、帝俄に日を定めて、御狩に出で給ひて、赫映姫の家に入り給ひて見給ふに、光滿ちて清らにて居たる人あり。これならむと思して近く寄らせ給ふに、逃げて入る袖を捉へ給へば、面を塞ぎて候へど、初よく御覽じつれば、類なくめでたく覺えさせ給ひて、許さじとすとて、率ておはしまさむとするに、赫映姫答へて奏す、「おのが身は、この國に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ。いと率ておはし難くや侍らむ」と奏す。帝、「などか然あらむ、猶率ておはしまさむ」とて、御輿を寄せ給ふに、この赫映姫、きと影になりぬ。果敢なく口惜しと思して、實にたゞ人にはあらざりけり、と思して、「さらば御供には率ていかじ。もとの御形となり給ひね。それを見てだに歸りなむ」と仰せらるれば、赫映姫もとの形になりぬ。帝、猶めでたく思しめさるゝ事堰きとめ難し。斯く見せつる造麿を悦び給ふ。さて仕うまつる百官の人々に、饗應嚴しう仕う奉る。帝、赫映姫を留めて歸り給はむ事を、飽かず口惜しく思しけれど、魂を留めたる心地してなむ、歸らせ給ひける。御輿に奉りて後に、赫映姫に、
歸るさのみゆき物うく思ほえて背きて留まるかぐや姫ゆゑ
御返事を、
葎はふ下にも年は經ぬる身の何かは玉の臺をも見む
これを帝御覽じて、いとど歸り給はむ空もなく思さる。御心は更に立ち歸るべくも思されざりけれど、さりとて夜を明し給ふべきにもあらねば、還らせ給ひぬ。常に仕う奉る人を見給ふに、赫映姫の傍らに寄るべくだにあらざりけり。他人よりは清らなりと思しける人の、かれに思し合はすれば人にもあらず、赫映姫のみ御心に懸かりて、唯一人過し給ふ。よしなくて御方々にも渡り給はず。赫映姫の御許にぞ、御文を書きて通はさせ給ふ。御返事流石に憎からず聞え交し給ひて、面白き木草につけても、御歌を詠みて遣はす。


天の羽衣

かやうにて、御心を互に慰め給ふ程に、三年ばかりありて、春の初より、赫映姫、月の面白う出でたるを見て、常よりも物思ひたる樣なり。或人の、「月の顏見るは忌む事」と制しけれども、ともすれば人間には月を見ていみじく泣き給ふ。七月の望の月に出で居て、切に物思へる氣色なり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「赫映姫例も月を哀れがり給ひけれども、この比となりては、たゞ事にも侍らざめり。いみじく思し歎く事あるべし。よくよく見奉らせ給へ」といふを聞きて、赫映姫にいふやう、「なでふ心地すれば、斯く物を思ひたる樣にて月を見給ふぞ、うましき世に」といふ。赫映姫、「月を見れば、世の中心細く哀れに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき」といふ。赫映姫のある所にいたりて見れば、猶物思へる氣色なり。これを見て、「あが佛何事を思ひ給ふぞ。思すらむこと何事ぞ」といへば、「思ふことも無し。物なむ心細く覺ゆる」といへば、翁、「月な見給ひそ。これを見給へば、物思す氣色はあるぞ」といへば、「いかでか月を見ずてはあらむ」とて、猶、月出づれば、出で居つゝ歎き思へり。夕暗には物思はぬ氣色なり。月の程になりぬれば、猶時々は打歎き泣きなどす。これを、使ふ者ども、「猶物思す事あるべし」と私言けど、親を始めて何事とも知らず。
八月の望ばかりの月に出で居て、赫映姫いといたく泣き給ふ。人目も今はつゝみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもも、「何事ぞ」と問ひ騷ぐ。赫映姫泣く泣くいふ、「さきざきも申さむと思ひしかども、必ず心惑はし給はむものぞと思ひて、今まで過し侍りつるなり。さのみやはとて、打出で侍りぬるぞ。己が身は、この國の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで來たりける。今は歸るべきになりにければ、この月の望に、かの本の國より迎に人々まうで來むず。さらず罷りぬべければ、思し歎かむが悲しきことを、この春より思ひ歎き侍るなり」といひて、いみじう泣く。翁、「こはなでふ事を宣ふぞ。竹の中より見つけ聞えたりしかど、菜種の大さおはせしを、我が丈立ち竝ぶまで養ひ奉りたる我が子を、何人か迎へ聞えむ。まさに許さむや」といひて、「我こそ死なめ」とて、泣きのゝしることいと堪へ難げなり。赫映姫のいはく、「月の都の人にて父母あり。片時の間とてかの國よりまうで來しかども、斯くこの國には、數多の年を經ぬるになむありける。かの國の父母の事も覺えず。此處には斯く久しく遊び聞えて馴らひ奉れり。いみじからむ心地もせず、悲しくのみなむある。されど己が心ならず罷りなむとする」といひて、諸共にいみじう泣く。使はるゝ人々も、年比馴らひて、立ち別れなむことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを見慣らひて、戀しからむことの堪へ難く、湯水も飮まれず、同じ心に歎かしがりけり。
この事を帝きこしめして、竹取が家に御使遣はさせ給ふ。御使に竹取出で逢ひて、泣くこと限りなし。この事を歎くに、髮も白く、腰も屈り、目も爛れにけり。翁今年は五十許なりけれども、物思には片時になむ老になりにけると見ゆ。御使、仰言とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、眞にか」と仰せ給ふ。竹取泣く/\申す、「この望になむ、月の都より赫映姫の迎にまうで來なる。尊く問はせ給ふ。この望には人々賜はりて、月の都の人まうで來ば、捉へさせむ」と申す。御使歸り參りて、翁の有樣申して、奏しつる事ども申すを、聞しめして宣ふ。「一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明暮見馴れたる赫映姫をやりては、如何思ふべき」。かの十五日、司々に仰せて、勅使には少將高野大國といふ人を差して、六衞の司合はせて、二千人の人を竹取が家に遣はす。家に罷りて築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓箭を帶して居り。母屋の内には女共を番に居ゑて守らす。嫗、塗籠の内に赫映姫を抱かへて居り。翁も塗籠の戸を鎖して戸口に居り。翁のいはく、「斯ばかり守る所に、天の人にも負けむや」といひて、屋の上に居る人々にいはく、「つゆも物空に翔らば、ふと射殺し給へ」。守る人々のいはく、「斯ばかりして守る所に、蝙蝠一つだにあらば、まづ射殺して外に晒さむと思ひ侍る」といふ。翁これを聞きて、頼もしがり居り。
これを聞きて、赫映姫は、「鎖し籠めて守り戰ふべきしたくみをしたりとも、あの國の人をえ戰はぬなり。弓箭して射られじ。斯く鎖し籠めてありとも、かの國の人來ば皆開きなむとす。相戰はむとすとも、かの國の人來なば、猛き心つかふ人よもあらじ」。翁のいふやう、「御迎に來む人をば、長き爪して眼を掴み潰さむ。さが髮を取りてかなぐり落さん。さが尻を掻き出でて、許多のおほやけ人に見せて恥見せむ」と腹立ち居り。赫映姫いはく、「聲高にな宣ひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを思ひも知らで、罷りなむずることの口惜しう侍りけり。長き契りの無かりければ、程なく罷りぬべきなめりと思ふが、悲しく侍るなり。親達の顧みを聊かだに仕う奉らで、罷らむ道も安くもあるまじきに、月比も出で居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなむ、斯く思ひ歎き侍る。御心をのみ惑はして去りなむ事の、悲しく堪へ難く侍るなり。かの都の人はいと清らにて、老いもせずなむ、思ふことも無く侍るなり。然る所へ罷らむずるも、いみじくも侍らず、老い衰へ給へる樣を見奉らざらむこそ戀しからめ」といひて泣く。翁、「胸痛き事なし給ひそ。麗しき姿したる使にも障らじ」と妬み居り。
斯かる程に宵打過ぎて、子の時ばかりに、家の邊晝の明さにも過ぎて光りたり。望月の明さを十合はせたるばかりにて、在る人の毛の孔さへ見ゆる程なり。大空より人雲に乘りて下り來て、地より五尺ばかりあがりたる程に立ち連ねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物に魘るゝやうにて、相戰はむ心も無かりけり。辛うじて思ひ起して、弓箭を取り立てむとすれども、手に力も無くなりて、痿え屈りたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへ往きければ、荒れも戰はで、心地唯癡れに癡れてまもり合へり。立てる人どもは、裝束の清らなること物にも似ず。飛車一つ具したり。羅蓋差したり。その中に王と覺しき人、「家に造麿まうで來」といふに、猛く思ひつる造麿も、物に醉ひたる心地して俯しに伏せり。いはく、「汝、をさなき人、聊かなる功徳を翁作りけるによりて、汝が助にとて片時の程とて降ししを、そこらの年比そこらの金賜ひて、身を更へたるが如くなりにたり。赫映姫は、罪を作り給へりければ、斯く賤しきおのれが許に暫しおはしつるなり。罪の限りはてぬれば、斯く迎ふるを、翁は泣き歎く、能はぬ事なり。はや返し奉れ」といふ。翁答へて申す、「赫映姫を養ひ奉ること、二十年餘りになりぬ。片時と宣ふに、怪しくなり侍りぬ。又他處に赫映姫と申す人ぞ、おはしますらむ」といふ。「此處に御座する赫映姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ」と申せば、その返事は無くて、屋の上に飛車を寄せて、「いざ赫映姫、穢き所にいかで久しくおはせむ」といふ。立て籠めたる所の戸、即ちたゞ開きに開きぬ。格子どもも人は無くして開きぬ。嫗抱きて居たる赫映姫外に出でぬ。え留むまじければ、唯さし仰ぎて泣き居り。竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、赫映姫いふ、「こゝにも心にもあらで斯く罷るに、昇らむをだに見送り給へ」といへども、「何しに悲しきに見送り奉らむ。我をば如何にせよとて、棄てては昇り給ふぞ。具して率ておはせね」と泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を書き置きて罷らむ。戀しからむ折々、取り出でて見給へ」とて、打泣きて書くことは、
 この國に生まれぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返す%\本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣を形見と見給へ。月の出でたらむ夜は見おこせ給へ。見棄て奉りて罷る空よりも落ちぬべき心地す。
と、書き置く。
天人の中に持たせたる筥あり、天の羽衣入れり。又あるは不死の藥入れり。一人の天人いふ、「壺なる御藥奉れ。穢き所の物食しめしたれば、御心地惡しからむものぞ」とて、持てよりたれば、聊か嘗め給ひて、少し形見とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、ある天人包ませず、御衣を取り出でて著せむとす。その時に赫映姫、「暫し待て」といひて、「衣著つる人は心異になるなり。物一言いひ置くべき事あり」といひて文書く。天人遲しと心許無がり給ふ。赫映姫、「物知らぬ事な宣ひそ」とて、いみじく靜かに、朝廷に御文奉り給ふ。周章てぬ樣なり。
 斯く數多の人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎まうで來て、取り率て罷りぬれば、口惜しく悲しきこと。宮仕つかう奉らずなりぬるも、斯く煩はしき身にて侍れば、心得ず思しめしつらめども、心強く承らずなりにし事、無禮げなるものに思しめし止められぬるなむ、心に留まり侍りぬる。
とて、
今はとて天の羽衣著るをりぞ君を哀れと思ひ出でぬる
とて、壺の藥添へて、頭中將を呼び寄せて奉らす。中將に天人取りて傳ふ。中將取りつれば、ふと天の羽衣打著せ奉りつれば、翁をいとほし悲しと思しつることも失せぬ。この衣著つる人は、物思も無くなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ。その後翁嫗、血の涙を流して惑へど詮なし。あの書き置きし文を讀みて聞かせけれど、「何せむにか命も惜しからむ。誰が爲にか何事も益もなし」とて、藥も食はず、やがて起きも上らず病み臥せり。中將人々を引具して歸り參りて、赫映姫をえ戰ひ留めずなりぬる事を細々と奏す。藥の壺に御文添へて參らす。展げて御覽じて、いといたく哀れがらせ給ひて、物も食しめさず、御遊なども無かりけり、大臣、上達部を召して、「何れの山か天に近き」と問はせ給ふに、或人奏す、「駿河の國にある山なむ、この都も近く、天も近く侍る」と奏す。これを聞かせ給ひて、
逢ふことも涙に浮ぶ我が身には死なぬ藥も何にかはせむ
かの奉れる不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、調の岩笠といふ人を召して、駿河の國にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の藥の壺竝べて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士ども數多具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙、未だ雲の中へ立ち昇るとぞいひ傳へたる。




このエントリーは、インターネットのウィキソース(http://ja.wikisource.org)竹取物語をもとに作られました。
入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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